6月16日


和菓子の日
学校の生協にポスターが貼ってあって初めて知った。
病気がなく、健康に暮らせるようにって昔の天皇が和菓子をお供えした日だから、和菓子の日らしい。


そういう意味がある日でしたが、実はその日、母方の祖母が亡くなりました。朝の4時ぐらい。
その前日の夜ぐらいから、容体が急変して、私は翌日の2限が終わったらそのまま新幹線に乗って祖母のところへ向かう段取りでした。
朝起きて悲しみよりも衝撃が大きくて、しばらく放心してたけど、礼服を買わなきゃいけないとかお父さんが葬式の準備のために一足早く向かわなきゃいけないとか、そういう行動に出た瞬間、本当なんだって気付かされた。
その日は本当は5限まであったから、5限まで出て、洋服の青山で礼服買って、色々考えてしまいました。



まず、私が会いに行く日に亡くなってしまったから、生前話したのはGWの時だけが最後だったこと。
どうして今日なの、なんで?って思ってしまったし、大事な会うことに比べれば就活の面接なんてクソって思ってしまって、就活続けてた自分にも嫌になった。
もっと早く終わらせて安心させてあげれればって、お母さんにもばぁばにも、スッキリと会えたのにって思ってしまった。


二つ目は現実と向き合うのが怖かったこと。
私はまだ病気が発覚する前しか会ってなかった人だから、病気で苦しんでたことも、亡くなったことも、その予兆や現実がリアルに感じ取れなかったから、私はきちんと受け止められるのか心配だった。そして、自分にとって身近な人の中で、きちんと思い入れがあったり、記憶があったりする人が亡くなったのはこれが初めてでどうなるかも怖かった。


三つめは、これが一番辛かったけど、お母さんの気持ちを考えたらのこと。授業中しんどくなって少し泣き出してしまった。
実の母親が亡くなってしまうって、しかも目の前で亡くなるってとんでもなく辛いと思う。今までだってどんどん弱ってく祖母を見てしんどかったんじゃないかなって、それが言い方が悪いかもしれないけど報われなかった。
しかもこれから葬儀もあってそのあとも大変で、悲しいのに正直に悲しみもできないってどんなんだろうって。
これが一番辛かった。


葬儀に向かう前日やその時間まで、不思議と学校では空元気とかなく普通に過ごしてて、ゆっくりお母さんと話せる時間なんてないだろうから、お母さんにお手紙書いて渡しました。
あとは葬儀で何が出来ることがあれば頑張ろう、お母さんを少しでもゆっくりさせてあげよう、お母さんが泣けない間は私も我慢しようって、そういう面持ちでいました。


実際行くと本当に不思議で、棺に入ってた祖母が本当に私の知る祖母なのかな?って思ったりもしました。
そのくらい顔が違うように思えた。
確かその頃女優の野際陽子さんも同じ時期に亡くなってて、え?もしかして野際陽子さん?なんて本気で思ったりした。もちろんそんな訳ないけど。
でもお坊さんがお教唱えたり、棺の中に花をいれたり、お線香あげたりしたら、本当に亡くなったんだ、って事だけ浮かんでずーーーっと泣いてました。


本当に何かある度に泣いて、何もなくても泣いて、お母さんの顔見て泣いて、お線香あげて泣いて、って、時折手伝いしてる時の方がよっぽど普通にいれてたと思います。お母さんが泣いてないんだから自分は我慢しなきゃって思ってたのに、ビービー泣いてて、その言葉を行動に移して、こっそり裏で泣いてた妹の方がよっぽど優秀でした。
私こんなんで、しかもお手伝いしようにも、葬式の経験もあまりない私が、孫の私が出来ることって限られてて、本当に参列者の人と同じようなことをしてて、やるせなかったです。


それでも、ひとつだけありました。


告別式の朝。
葬式を終えて告別式の朝まで、葬式会場のすぐ横の客室で家族4人で寝泊まりしていて、朝食を葬式会場の横の食事場で、会場の人が朝ごはん用意してくれたので、ご飯を4人で食べました。
私と妹、父と母の4人は本当に久しぶりで、4人で久しぶりだね、って話しながらご飯食べて、そのあと4人並んで祖母にお線香あげました。
お線香あげたあと、お母さんは笑顔になって、私と妹の腕を組んで、今お母さんなんか幸せだった、って言ってくれました。


その時、私がいた意味が少しでもあったような気がしました。
何かとはうまく言えないけれど、そうやって自分の家族4人で過ごせたことが安心したり、リラックスできたんじゃないかって思ったり、自分の母が1人亡くなったからこそ、自分が母としているもう一つの家族がいることを、改めて実感してくれたんではないのかなと、思います。なんていうか、残されてるものの確認をして、まだ安心だっていうような。
もう一つの家族の誰かがいなくなっても、まだもう一つ、誰もいなくなっていない家族がいること。
そうやって幸せだって少し泣きながら、笑ってくれたことが私にとっても幸せでした。
よく、祖父母や両親からあなた達がきちんと生きて、元気であることが、何よりの孝行になるんだよって言わたこととなんの関わりがあるのかはうまく言えないけれど、関わりがあるような気がして、いるだけで、それでいいって、私が身をもって初めて感じたことでした。


そのあとも結局ずっと泣いて、葬儀がすべて終わったあとも、ゆっくりお話できるような時間も私ができることも何もなかったので、その次の日の新幹線で妹と帰りました。













母方の祖母が亡くなったことは本当に大きな意味がありました。
あくまで私が信じたくないという心情で、失礼な話でもありますが、私にとって、大好きなおばあちゃんは亡くなった祖母の方だと感じていたからです。
今一緒に住んでいる父の母になるおばあちゃんは、こう言えばいい、ああ言えばいい、綺麗な言葉ではあるけれど、心はこもっていない。考えて、感じて、出ている言葉じゃなく、教科書の言葉を音読しているような、そんな気遣いしか感じられない。
それは年のせいではなく、その人の人柄なんだと思います。
わかりにくいか、わかりやすいか。同居するおばあちゃんはわかりにくく、思いにくいのかなと、失礼ながら感じてしまいます。
一方で、亡くなった祖母は、自身が大変な時には、大変だと言いつつ、私の顔が見たい、声が聞きたいと、きちんと感じたことを、良くも悪くもいう人でした。
その一方で、人の前では強くいて、人に気を遣わせちゃいけない、どんなに都合が悪いことをしていても、思ってくれてやってもらった行動なら嫌な顔もしちゃいけないって、我慢するような人でした。
まだ病気も何も、何なら、ひいおじいちゃんも亡くなる前の4月に、私はどうしても就活が辛くて、お母さんにばぁばに会いたい帰りたい、と弱音を吐いたことがありました。
その時、祖母の方も法事関係でバタバタしていて落ち着かない日々が続いていて、もちろん帰ることは出来なかったのですが、お母さんとばぁばに電話してみよっか、という話になりました。
電話に出た瞬間、私の名前を何度も呼んで、声聞きたいと、会いたいと思ってたんだよ~~~~、就活心配だけど絶対大丈夫だと思ってるんだよ~~~~、って言ってくれて、その言葉を聞いて私は泣きだしました。泣いているそぶりは見せなかったけど、一緒にいたお母さんにはバレっバレになりながら、あくまで普通に電話してました。
なかなか会えないから、だから貴重さ?が違うだけなんだと思ってはいたけど、でもそれでも、やっぱりそういう風に直球で言ってくれたことは嬉しかった。
何も綺麗な言葉ではなく、ただ自分の気持ちなだけだけど、私はそういう言葉の方が嬉しい。
そういう気持ちを言ってくれる祖母の方が、私はいて落ち着いたんです。
だから、その祖母がいなくなったことは、同居してるおばあちゃんと上手くやれていなかった私にとって、すごく痛手であり、悲しいことでもありました。


それから、私が会う日の早朝に亡くなってしまったこと。
物凄く後悔しました。
あの日にああしておけば、こうしておけば、すればよかった、しなきゃよかった。会うことが出来たタイミングが沢山あったからこそ、亡くなった直後は本当に思いました。
でも、これは祖母本人が言っていたことらしいのですが、私が最後に会ったGWの最終日、家に帰りたくなくて、祖母に抱きついた時のあの感触がずっと忘れられない、とそう言ってたみたいです。
私はそれで、少し気持ちが軽くなったような気がしました。勿論、その時最後になるとは思っていなかったので、自然に出た行動でした。
これはお母さんに聞いた話と解釈なのですが、祖母は、昔は自分の家で美容院を経営していて、お母さんとその妹にあたるおばさんは、人に対してすごく厳しく教育されていたので、自分の好きな時に、母親であった祖母に、そばにいたり、甘えたり、スキンシップをとったり、そういう事が出来なかったと言っていました。でも、自分たちが母親になった時、子供の私に対して、甘やかしすぎることはなかったですが、いつでもそばにいて、一緒にいてあげたいと思っていたそうです。
現に、私はずっとお母さんがいてくれてたと感じてます。一緒に遊んだり、看病してくれたり、辛いことがあったらお母さんって泣きついて、わんわん泣くこともありました。
そんな風に育った私は、甘えたい時に甘えられることが出来ていたので、祖母に対しても、そういう風に甘えてしまったり、スキンシップをとることをなんとも思っていなかったんです。甘ったれと言われればそれは本当にその通りなんですが( 笑 )、でも娘をそう厳しくしつけていた祖母にとっては、その甘えが自分に今まで無かったことで、すごく新鮮で、忘れられなかったんじゃないかと、お母さんは言っていました。
これを聞いて、私はあの時が最後で良かったんじゃないかと、そう思いました。
私は上記の通り、実は本当に甘ったれで大好きな人は大好きなので、逆に誰かが亡くなりそうとか病気だと言われると、本当に沈みこみます。祖母がまだ亡くなる前、闘病してることを知った数日の間、その事をおもえば、毎回毎回目が腫れて開かなくなるぐらい、泣いていました。
そんなひどい顔を、祖母の前でしなかったこと。知らないで、笑っていたり甘えていた方が、きっと祖母にとって、孫の私という最後の記憶や印象、心配をかけているという心労までかけずに済んだ、その事だけでも、あの時の知らない私が出来たことなんだと思えるようになりました。
勿論、闘病している祖母に会いたかった気持ちもあります。かけたかった言葉もあります。
でも、会えたところで思ってる言葉の半分も言えない。言えたとしても、顔の表情は心配、不安の顔をしていたと思います。
だからこれでいいんだ、私は孫として、なにか出来たことがあったんではないかと思います。
それは、祖母にしか分からないことですが、私がこういう優しさや可愛がってもらった、と思うように祖母も思ってくれてたら、私は幸せです。


それから、最後。
祖母が心配していた就活もきちんと終わることができました。生きている間に、内定先も出ていたし、私は心配いらない、と言っていた祖母をを本当に安心させることが出来て、本当によかった。


こんな感じで自分の気持ちも整理することもできました。



全部の気持ちを書くのに、二ヶ月以上経ってしまった( 笑 )
色々忙しかったからもあるけど、まとまらなかった( 笑 )
でも、今の自分の気持ちを整理できたのでよかった。
最低なこともいっぱい書いたけど、でもその気持ちを受け止めて、頑張っていかないと、という気持ちもあるので、これから精進したいと思います。