この1ヶ月のこと


少し、お話させてください。
誰にも直接迷惑かけないから。
つまらない思いも直接させない。
この場限りにするので。










今日、6月13日。1か月前は5月13日の母の日の前日。
私の母は、自分の母のために帰省していました。
実をいうと、私のひいおじいちゃん、
つまり、私の祖母の父がこの5日前に亡くなりました。
そのお葬式のことと、元から体調が優れなかった祖母のこと、宗教上でのお葬式の日程などと色々人手や世話があって、長い間帰省していました。そして、1ヶ月たった今でも帰ってきていません。


ひいおじいちゃん、102歳でした。
といっても亡くなる直前会えなかったわけじゃないです。
私は今就職活動中ではありますが、GW中、祖母の家に帰省して、老人ホームにいるひいおじいちゃんの様子を見に行きました。
その時からもう、風邪で寝たきりでずっと眠っていて、私も誰も話せはしなくて、様子がおかしいね、大丈夫かな、と言って、こっちに帰った矢先に亡くなりました。
寿命をしっかり全うして生きたんだなと、正直私は心のどこかでは納得していました。
そして、私自身もGW明けから面接などが入っていたので、就職活動を再開し始め、まだひとつも内々定がないままで少し焦ってはいたので、自分のことで精一杯でした。


内々定がその4日後の17日に出て、会社出たあと泣きそうになりながら、一番はじめに母に電話をかけました。
母は、私が人生を決める一番大事な時期なのに一緒に居れてあげれないことに、かなり申し訳ない気持ちがあったんだと、知っていたからです。
もう大丈夫だよ、私はきちんとできるから、安心してね。
そういうつもりでした。
でも結局出られず、その日の夜、母から連絡が来て、おめでとうって沢山言ってもらいました。
私は内々定が出たことで、初めて自分以外の誰かを心配する余裕が出来ました。
祖母は、ひいおじいちゃんの葬式の時には、足が痛くて歩けず、ずっと杖をついたり車椅子で移動していたそうで、病院に行ったら、足の血栓に原因があり、命に別状はないとそう判断されましたが、元来、祖母は座り続けたりすると腰を痛めてしまうので、母が帰省し、面倒を見ている部分もあったのです。
母は、心配しなくていいよって言ってくれました。
私もその言葉を聞いて、私は大丈夫だから、そばにいてあげてねって言ってそのまま就職活動を続けました。




そこから5月の末日まで。
内々定を貰え、家のことは大丈夫だよとは言いつつ、家族内のストレスが相当強かったです。
母がいなく、父方の祖母と、父と、妹の4人の生活。
今まで家事を全てやっていた母の仕事を、妹と私と、出来ることだけは祖母がやる毎日で、内々定を貰ったといえども、自分が希望する企業や業界の選考はまだ続いていたり、説明会などもある中、夕ご飯のことを考えたり、洗濯をしたり、就職も結婚もしていないのに、共働きって大変だな、なんて考えていました。
妹は学校自体が遠く、4限が終わると帰ってくるのが遅く、父方の祖母とは、私が打ち解けられず仲良くも出来ない精神的なストレスと、家事も任せられる安心がなく、力も弱いから家事をやらせられなく私たちがやるという身体的なストレスが強かったです。
更に言うなら、父の就活に対する過度な心配も、有難い反面すごくストレスでした。
それでも、学校に行って友人といて楽しい時間を過ごせたり、私を心配してくれる今新社会人の私と同い年の大親友たちがご飯誘ってくれたり、電話くれたり、そういう嬉しいことも沢山ありながら、日々過ごしてました。


こうして6月1日。大手企業の選考や正式な内々定が授与され、本格的に就職活動が始まり、私自身、一番就活で打ちのめされたり、どんでん返しがあった6月第一週。
他企業からも内々定を貰い、希望している最終選考なども受け終え、ようやく落ち着くところに落ち着き始めた、第二週の今。
最後に受けた企業の最終選考の日程も今週の土曜日に決まり、あとは結果を待ったりして、今週中で就活が一段落し、あとは行くところを精査するだけになった、6月13日、今日の夕方。


父から呼ばれ、話された内容は母方の祖母の肝臓がんと膵臓がんの発病の話でした。


実は、足の血栓の病気と同時に、膵臓と肝臓にがんが見つかっていました。
発見は遅い方で、体力がない祖母は抗がん剤などの治療も受けられず、今は体力を戻すべくリハビリ中で、病態もいつ悪化したりするのかわからない状態だそうです。
病態のことやお見舞いに来るたくさんの人を考慮して、早めに祖母に会っていかないか、明日日帰りでも会っていかないか、という提案でした。
今まで話さなかったのは、私の就活を考慮した、母や母方の祖母の提案でした。
結果、今週の土曜日、面接を終えたらすぐに祖母の家に向かうことになりました。


以上がこの1ヶ月の話になります。














しんどい。
この一言につきます。色々な意味で。
今日も夕飯を作らなきゃいけなかったけれど、泣いた顔が見せられなくて、涙が引かなくて、妹に託してしまいました。ごめんね。
自分の就活のことでもなく、家族内のストレスでもなく、祖母のことや母のこと、周りの人の気遣いに気づけなかったことが何より辛いです。
祖母は、どんな思いで、私が生活している間いたのか。
私が大切な時期なのに、母として何も出来ない後悔だって、毎回電話すると伝わってきます。
それでも、何も無いみたいに、明るく、元気にいて、隠し通して、私は私のことで精一杯で。
本当は最初、一ヶ月前、祖母の身体検査の結果が出た直後、足の血栓の病気だったよと言われた時に、私は、ガンや大きな病気じゃなきゃそれでよかったって、母にLINEをしました。
その時、既読無視してたのは、忙しいからもあったけれど、私が言った言葉が本当は事実だから、なんて返していいのかわからなくて、返さなかったんだと今気づきました。
父が過剰に心配するのも、きっとこの事があったから余計心配になって、私のことを気遣っていたんだと思いました。それを私は母に愚痴ってしまいました。
そして今もまた、アホみたいな話をして、元気づけようとしてくれました。


みんなに心配かけたくなくて、何とか一人で頑張って、大丈夫な姿を見せたかったのに、結局私の就活も何もかも、みんなの気遣いの上で成り立っていた。
父は毎回話を聞いてくれた、私が傷つかないように言い訳まで考えてくれた。
妹は、私の気持ちを私より早く察して、行動してくれる時もあった。
父方の祖母は、出来ることをしようとしてくれてた、いつも笑顔でいてくれた。
母は、どんな時でも慰めたり、励ましたり、心配してくれてた。
母方の祖母は、言葉づてにだけど、よかったねって言ってくれてた。
なのに私は気づかなかった。ほっといてくれって思ったこともあった。
どうしていてくれないんだろうって思う時もあった。
不満に思って八つ当たりする時もあった。
みんながみんな、私以上に大変だったの、なにも気づかずに。


ばあば、お願いだから生きて。
私ばあばがいなきゃ安心できないよ、ほっと出来ないよ。
おばあちゃんより、ばぁばの方が私のことずっとずっとお世話してくれてたのに、私は何も出来てないのに。
いなくなっちゃ嫌だよ。歩かなくっても、何しなくてもいいから、だからまだ生きててほしい。
お願いだから。