6月16日


和菓子の日
学校の生協にポスターが貼ってあって初めて知った。
病気がなく、健康に暮らせるようにって昔の天皇が和菓子をお供えした日だから、和菓子の日らしい。


そういう意味がある日でしたが、実はその日、母方の祖母が亡くなりました。朝の4時ぐらい。
その前日の夜ぐらいから、容体が急変して、私は翌日の2限が終わったらそのまま新幹線に乗ってばぁばのところへ向かう段取りでした。
朝起きて悲しみよりも衝撃が大きくて、しばらく放心してたけど、礼服を買わなきゃいけないとかお父さんが葬式の準備のために一足早く向かわなきゃいけないとか、そういう行動に出た瞬間、本当なんだって気付かされた。
その日は本当は5限まであったから、5限まで出て、洋服の青山で礼服買って、色々考えてしまいました。



まず、私が会いに行く日に亡くなってしまったから、生前話したのはGWの時だけが最後だったこと。
どうして今日なの、なんで?って思ってしまったし、大事な会うことに比べれば就活の面接なんてクソって思ってしまって、就活続けてた自分にも嫌になった。
もっと早く終わらせて安心させてあげれればって、お母さんにもばぁばにも、スッキリと会えたのにって思ってしまった。


二つ目は現実と向き合うのが怖かったこと。
私はまだ病気が発覚する前しか会ってなかった人だから、病気で苦しんでたことも、亡くなったことも、その予兆や現実がリアルに感じ取れなかったから、私はきちんと受け止められるのか心配だった。そして、自分にとって身近な人の中で、きちんと思い入れがあったり、記憶があったりする人が亡くなったのはこれが初めてでどうなるかも怖かった。


三つめは、これが一番辛かったけど、お母さんの気持ちを考えたらのこと。授業中しんどくなって少し泣き出してしまった。
実の母親が亡くなってしまうって、しかも目の前で亡くなるってとんでもなく辛いと思う。今までだってどんどん弱ってくばあば見てしんどかったんじゃないかなって、それが言い方が悪いかもしれないけど報われなかった。
しかもこれから葬儀もあってそのあとも大変で、悲しいのに正直に悲しみもできないってどんなんだろうって。
これが一番辛かった。


葬儀に向かう前日やその時間まで、不思議と学校では空元気とかなく普通に過ごしてて、誰かが亡くなったあとの世界観?が見たくて、何にもならないけれど、サマーウォーズ木更津キャッツアイをめっちゃ見てました。
あとはゆっくりお母さんと話せる時間なんてないだろうから、お母さんにお手紙書いて渡しました。
あとは葬儀で何が出来ることがあれば頑張ろう、お母さんを少しでもゆっくりさせてあげよう、お母さんが泣けない間は私も我慢しようって、そういう面持ちでいました。


実際行くと本当に不思議で、棺に入ってたばぁばが本当にばぁばなのかな?って思ったりもしました。
そのくらい顔が違うように思えた。
確かその頃女優の野際陽子さんも同じ時期に亡くなってて、え?もしかして野際陽子さん?なんて本気で思ったりした。もちろんそんな訳ないけど。
でもお坊さんがお教唱えたり、棺の中に花をいれたり、お線香あげたりしたら、本当に亡くなったんだ、って事だけ浮かんでずーーーっと泣いてました。


本当に何かある度に泣いて、何もなくても泣いて、お母さんの顔見て泣いて、お線香あげて泣いて、って、時折手伝いしてる時の方がよっぽど普通にいれてたと思います。お母さんが泣いてないんだから自分は我慢しなきゃって思ってたのに、ビービー泣いてて、その言葉を行動に移して、こっそり裏で泣いてた妹の方がよっぽど優秀でした。
私こんなんで、しかもお手伝いしようにも、葬式の経験もあまりない私が、孫の私が出来ることって限られてて、本当に参列者の人と同じようなことをしてて、やるせなかったです。


それでも、ひとつだけありました。


告別式の朝。
葬式を終えて告別式の朝まで、葬式会場のすぐ横の客室で家族4人で寝泊まりしていて、朝食を葬式会場の横の食事場で、会場の人が朝ごはん用意してくれたので、ご飯を4人で食べました。
私と妹、父と母の4人は本当に久しぶりで、4人で久しぶりだね、って話しながらご飯食べて、そのあと4人並んでばあばにお線香あげました。
お線香あげたあと、お母さんは笑顔になって、私と妹の腕を組んで、今お母さんなんか幸せだった、って言ってくれました。


その時、私がいた意味が少しでもあったような気がしました。
何かとはうまく言えないけれど、そうやって自分の家族4人で過ごせたことが安心したり、リラックスできたんじゃないかって思ったり、自分の母が1人亡くなったからこそ、自分が母としているもう一つの家族がいることを、改めて実感してくれたんではないのかなと、思います。なんていうか、残されてるものの確認をして、まだ安心だっていうような。
もう一つの家族の誰かがいなくなっても、まだもう一つ、誰もいなくなっていない家族がいること。
そうやって幸せだって少し泣きながら、笑ってくれたことが私にとっても幸せでした。
よく、祖父母や両親からあなた達がきちんと生きて、元気であることが、何よりの孝行になるんだよって言わたこととなんの関わりがあるのかはうまく言えないけれど、関わりがあるような気がして、いるだけで、それでいいって、私が身をもって初めて感じたことでした。


そのあとも結局ずっと泣いて、葬儀がすべて終わったあとも、ゆっくりお話できるような時間も私ができることも何もなかったので、その次の日の新幹線で妹と帰りました。













ばあばが亡くなったことは本当に大きな意味がありました。
あくまで私が信じたくないという心情で、失礼な話でもありますが、私にとって、大好きなおばあちゃんは亡くなったばぁばの方だと感じていたからです。
今一緒に住んでいる父の母になるおばあちゃんは、自分が思っていることを正直に言うと、薄いです。
こう言えばいい、ああ言えばいい、綺麗な言葉ではあるけれど、心はこもっていない。考えて、感じて、出ている言葉じゃなく、教科書の言葉を音読しているような、そんな気遣いしか感じられないんです。
それは年のせいではなく、その人の人柄なんだと思います。
わかりにくいか、わかりやすいか。同居するおばあちゃんはわかりにくく、思いにくいのかなと、失礼ながら感じてしまいます。
一方で、ばぁばは、私やばぁば自身が大変な時には、大変だと言いつつ、私の顔が見たい、声が聞きたいと、きちんと感じたことを、良くも悪くもいう人でした。
それでも人の前では強くいて、人に気を遣わせちゃいけない、どんなに都合が悪いことをしていても、思ってくれてやってもらった行動なら嫌な顔もしちゃいけないって、我慢するような人でした。
まだ病気も何も、何なら、ひいおじいちゃんも亡くなる前の4月に、私はどうしても就活が辛くて、お母さんにばぁばに会いたい帰りたい、と弱音を吐いたことがありました。
その時、ばぁばの方も法事関係でバタバタしていて落ち着かない日々が続いていて、もちろん帰ることは出来なかったのですが、お母さんとばぁばに電話してみよっか、という話になりました。
電話に出た瞬間、私の名前を何度も呼んで、声聞きたいと、会いたいと思ってたんだよ~~~~、就活心配だけど絶対大丈夫だと思ってるんだよ~~~~、って言ってくれて、その言葉を聞いて私は泣きだしました。泣いているそぶりは見せなかったけど、一緒にいたお母さんにはバレっバレになりながら、あくまで普通に電話してました。
なかなか会えないから、だから貴重さ?が違うだけなんだと思ってはいたけど、でもそれでも、やっぱりそういう風に直球で言ってくれたことは嬉しかった。
何も綺麗な言葉ではなく、ただ自分の気持ちなだけだけど、私はそういう言葉の方が嬉しい。
そういう気持ちを言ってくれるばぁばの方が、私はいて落ち着いたんです。
だから、そのばぁばがいなくなったことは、同居してるおばあちゃんと上手くやれていなかった私にとって、すごく痛手であり、悲しいことでもありました。


それから、私が会う日の早朝に亡くなってしまったこと。
物凄く後悔しました。
あの日にああしておけば、こうしておけば、すればよかった、しなきゃよかった。会うことが出来たタイミングが沢山あったからこそ、亡くなった直後は本当に思いました。
でも、これはばぁば本人が言っていたことらしいのですが、私が最後に会ったGWの最終日、家に帰りたくなくて、ばぁばに抱きついた時のあの感触がずっと忘れられない、とそう言ってたみたいです。
私はそれで、少し気持ちが軽くなったような気がしました。勿論、その時最後になるとは思っていなかったので、自然に出た行動でした。
だからこそ、私がしてあげれた事がひとつもなかったとはあまり思えませんでした。
これはお母さんに聞いた話と解釈なのですが、ばぁばは、昔は自分の家で美容院を経営していて、お母さんとその妹にあたるおばさんは、人に対してすごく厳しく教育されていたので、自分の好きな時に、母親であったばぁばに、そばにいたり、甘えたり、スキンシップをとったり、そういう事が出来なかったと言っていました。でも、自分たちが母親になった時、子供の私に対して、甘やかしすぎることはなかったですが、いつでもそばにいて、一緒にいてあげたいと思っていたそうです。
現に、私はずっとお母さんがいてくれてたと感じてます。一緒に遊んだり、看病してくれたり、辛いことがあったらお母さんって泣きついて、わんわん泣くこともありました。
そんな風に育った私は、甘えたい時に甘えられることが出来ていたので、ばぁばに対しても、そういう風に甘えてしまったり、スキンシップをとることをなんとも思っていなかったんです。甘えん坊と言われればそれは本当にその通りなんですが( 笑 )、でも娘をそう厳しくしつけていたばぁばにとっては、その甘えが自分に今まで無かったことで、すごく新鮮で、忘れられなかったんじゃないかと、お母さんは言っていました。
これを聞いて、私はあの時が最後で良かったんじゃないかと、そう思いました。
私は上記の通り、実は本当に甘えん坊で大好きな人は大好きなので、逆に誰かが亡くなりそうとか病気だと言われると、本当に沈みこみます。ばぁばがまだ亡くなる前、闘病してることを知った数日の間、その事をおもえば、毎回毎回目が腫れて開かなくなるぐらい、泣いていました。
そんなひどい顔を、ばぁばにしなかったこと。知らないで、笑っていたり甘えていた方が、きっとばぁばにとって、孫の私という最後の記憶や印象、心配をかけているという心労までかけずに済んだ、その事だけでも、あの時の知らない私が出来たことなんだと思えるようになりました。
勿論、闘病しているばぁばに会いたかった気持ちもあります。かけたかった言葉もあります。
でも、会えたところで思ってる言葉の半分も言えない。言えたとしても、顔の表情は心配、不安の顔をしていたと思います。
だからこれでいいんだ、私は孫として、なにか出来たことがあったんではないかと思います。
それは、ばぁばにしか分からないことですが、私がこういう優しさや可愛がってもらった、と思うようにばぁばも思ってくれてたら、私は幸せです。


それから、最後。
ばぁばが心配していた就活もきちんと終わることができました。生きている間に、内定先も出ていたし、私は心配いらない、と言っていたばぁばを本当に安心させることが出来て、本当によかった。


こんな感じで自分の気持ちも整理することもできました。



全部の気持ちを書くのに、二ヶ月以上経ってしまった( 笑 )
色々忙しかったからもあるけど、まとまらなかった( 笑 )
でも、今の自分の気持ちを整理できたのでよかった。
最低なこともいっぱい書いたけど、でもその気持ちを受け止めて、頑張っていかないと、という気持ちもあるので、これから精進したいと思います。

この1ヶ月のこと


少し、お話させてください。
誰にも直接迷惑かけないから。
つまらない思いも直接させない。
この場限りにするので。










今日、6月13日。1か月前は5月13日の母の日の前日。
私の母は、自分の母のために帰省していました。
実をいうと、私のひいおじいちゃん、
つまり、私の祖母の父がこの5日前に亡くなりました。
そのお葬式のことと、元から体調が優れなかった祖母のこと、宗教上でのお葬式の日程などと色々人手や世話があって、長い間帰省していました。そして、1ヶ月たった今でも帰ってきていません。


ひいおじいちゃん、102歳でした。
といっても亡くなる直前会えなかったわけじゃないです。
私は今就職活動中ではありますが、GW中、祖母の家に帰省して、老人ホームにいるひいおじいちゃんの様子を見に行きました。
その時からもう、風邪で寝たきりでずっと眠っていて、私も誰も話せはしなくて、様子がおかしいね、大丈夫かな、と言って、こっちに帰った矢先に亡くなりました。
寿命をしっかり全うして生きたんだなと、正直私は心のどこかでは納得していました。
そして、私自身もGW明けから面接などが入っていたので、就職活動を再開し始め、まだひとつも内々定がないままで少し焦ってはいたので、自分のことで精一杯でした。


内々定がその4日後の17日に出て、会社出たあと泣きそうになりながら、一番はじめに母に電話をかけました。
母は、私が人生を決める一番大事な時期なのに一緒に居れてあげれないことに、かなり申し訳ない気持ちがあったんだと、知っていたからです。
もう大丈夫だよ、私はきちんとできるから、安心してね。
そういうつもりでした。
でも結局出られず、その日の夜、母から連絡が来て、おめでとうって沢山言ってもらいました。
私は内々定が出たことで、初めて自分以外の誰かを心配する余裕が出来ました。
祖母は、ひいおじいちゃんの葬式の時には、足が痛くて歩けず、ずっと杖をついたり車椅子で移動していたそうで、病院に行ったら、足の血栓に原因があり、命に別状はないとそう判断されましたが、元来、祖母は座り続けたりすると腰を痛めてしまうので、母が帰省し、面倒を見ている部分もあったのです。
母は、心配しなくていいよって言ってくれました。
私もその言葉を聞いて、私は大丈夫だから、そばにいてあげてねって言ってそのまま就職活動を続けました。




そこから5月の末日まで。
内々定を貰え、家のことは大丈夫だよとは言いつつ、家族内のストレスが相当強かったです。
母がいなく、父方の祖母と、父と、妹の4人の生活。
今まで家事を全てやっていた母の仕事を、妹と私と、出来ることだけは祖母がやる毎日で、内々定を貰ったといえども、自分が希望する企業や業界の選考はまだ続いていたり、説明会などもある中、夕ご飯のことを考えたり、洗濯をしたり、就職も結婚もしていないのに、共働きって大変だな、なんて考えていました。
妹は学校自体が遠く、4限が終わると帰ってくるのが遅く、父方の祖母とは、私が打ち解けられず仲良くも出来ない精神的なストレスと、家事も任せられる安心がなく、力も弱いから家事をやらせられなく私たちがやるという身体的なストレスが強かったです。
更に言うなら、父の就活に対する過度な心配も、有難い反面すごくストレスでした。
それでも、学校に行って友人といて楽しい時間を過ごせたり、私を心配してくれる今新社会人の私と同い年の大親友たちがご飯誘ってくれたり、電話くれたり、そういう嬉しいことも沢山ありながら、日々過ごしてました。


こうして6月1日。大手企業の選考や正式な内々定が授与され、本格的に就職活動が始まり、私自身、一番就活で打ちのめされたり、どんでん返しがあった6月第一週。
他企業からも内々定を貰い、希望している最終選考なども受け終え、ようやく落ち着くところに落ち着き始めた、第二週の今。
最後に受けた企業の最終選考の日程も今週の土曜日に決まり、あとは結果を待ったりして、今週中で就活が一段落し、あとは行くところを精査するだけになった、6月13日、今日の夕方。


父から呼ばれ、話された内容は母方の祖母の肝臓がんと膵臓がんの発病の話でした。


実は、足の血栓の病気と同時に、膵臓と肝臓にがんが見つかっていました。
発見は遅い方で、体力がない祖母は抗がん剤などの治療も受けられず、今は体力を戻すべくリハビリ中で、病態もいつ悪化したりするのかわからない状態だそうです。
病態のことやお見舞いに来るたくさんの人を考慮して、早めに祖母に会っていかないか、明日日帰りでも会っていかないか、という提案でした。
今まで話さなかったのは、私の就活を考慮した、母や母方の祖母の提案でした。
結果、今週の土曜日、面接を終えたらすぐに祖母の家に向かうことになりました。


以上がこの1ヶ月の話になります。














しんどい。
この一言につきます。色々な意味で。
今日も夕飯を作らなきゃいけなかったけれど、泣いた顔が見せられなくて、涙が引かなくて、妹に託してしまいました。ごめんね。
自分の就活のことでもなく、家族内のストレスでもなく、祖母のことや母のこと、周りの人の気遣いに気づけなかったことが何より辛いです。
祖母は、どんな思いで、私が生活している間いたのか。
私が大切な時期なのに、母として何も出来ない後悔だって、毎回電話すると伝わってきます。
それでも、何も無いみたいに、明るく、元気にいて、隠し通して、私は私のことで精一杯で。
本当は最初、一ヶ月前、祖母の身体検査の結果が出た直後、足の血栓の病気だったよと言われた時に、私は、ガンや大きな病気じゃなきゃそれでよかったって、母にLINEをしました。
その時、既読無視してたのは、忙しいからもあったけれど、私が言った言葉が本当は事実だから、なんて返していいのかわからなくて、返さなかったんだと今気づきました。
父が過剰に心配するのも、きっとこの事があったから余計心配になって、私のことを気遣っていたんだと思いました。それを私は母に愚痴ってしまいました。
そして今もまた、アホみたいな話をして、元気づけようとしてくれました。


みんなに心配かけたくなくて、何とか一人で頑張って、大丈夫な姿を見せたかったのに、結局私の就活も何もかも、みんなの気遣いの上で成り立っていた。
父は毎回話を聞いてくれた、私が傷つかないように言い訳まで考えてくれた。
妹は、私の気持ちを私より早く察して、行動してくれる時もあった。
父方の祖母は、出来ることをしようとしてくれてた、いつも笑顔でいてくれた。
母は、どんな時でも慰めたり、励ましたり、心配してくれてた。
母方の祖母は、言葉づてにだけど、よかったねって言ってくれてた。
なのに私は気づかなかった。ほっといてくれって思ったこともあった。
どうしていてくれないんだろうって思う時もあった。
不満に思って八つ当たりする時もあった。
みんながみんな、私以上に大変だったの、なにも気づかずに。


ばあば、お願いだから生きて。
私ばあばがいなきゃ安心できないよ、ほっと出来ないよ。
おばあちゃんより、ばぁばの方が私のことずっとずっとお世話してくれてたのに、私は何も出来てないのに。
いなくなっちゃ嫌だよ。歩かなくっても、何しなくてもいいから、だからまだ生きててほしい。
お願いだから。

幸せ者


と思うことが最近多い。


特に大きな苦労もしてなくて、親も祖父母も私のことを大事にしてくれて、浪人させてもらって学校ちゃんと行けて、浪人しても友人には恵まれて。
逆にこれから先の人生大丈夫なのかな、全員に総スカンとされるんじゃないのっていう根拠の無い不安がつく( 笑 )

私はもともとくらーーーい人間。私自身周りが見えないくらい自分の悩みに溺れたり、他人の言葉が怖くて閉じこもったり、周りの空気を気にして自分の意見が言えなかった時があった。だから、周りもそんな私の雰囲気で明るい話よりも、人の悩みとか出口のない話をして、それを沢山聞いてきたりしてきたから、楽しさという言葉からはかけ離れてる人間だと思う。
それが嫌でお笑い番組とか見て研究したり、笑いってすごいなぁ笑わせるってすごいなぁって思ったりする楽しさにも気づけた。
だから暗くても、やっぱり私は幸せ者。
私の知らない学べることや人生を豊かにするきっかけが沢山できた。
それは全部、まわりのおかげ。
私ひとりで出来たことなんて何も無い。
私きっかけで成し遂げたこと何も無い。


今就活でたくさん自分に向き合うことが多いけど、私は人に直接向き合って、深く関われる仕事が一番いいと思う。私にないものを持っているのはやっぱり人で、その人の考えを聞くのが好き。どんなことを思い描いて、どんなことを苦手として、どんなことで悩んでるのか、そんな人の考えを聞くのが大好き。
そうすることで、私の考えの知識だって広がる。その人を少しでも理解しようとする自分と、心を開いて話してくれてる相手の人が、多分一番好き。
たまに疲れちゃうこともあるけど、誰かが楽になるなら、出口が見つかるなら、私は喜んで努力する。

ただバカだし視野が狭いから、力になれることは少ないかなという小心者でもある( 笑 )

ここ最近


22歳になりました!
イェー!という訳でもなく、ヤベェー!の方が勝ってるなぁ。22歳ならまだ若いほうだと思うけど、自分がその22歳になったという現実がねぇ…。最近まで成人式やってたんだけどなぁ。もう今年2個下の妹が成人式だもんなぁ。はっや。

話は戻りまして。

前日のサプライズも誕生日プレゼントもたくさんもらえて、予想以上に沢山の人から何よりのおめでとう!って言ってもらえて本当に嬉しかった。本当に。本当に。
私だけかもしれないけれど、誕生日って嬉しいと怖いって気持ちが混ざってるんで、迎えると意識しないように!って思っても少し緊張するんよね。
やだよねぇ、身構えちゃうの。
忘れられるのが羨ましいなってちょっと思う。


だけども、今年は忘れなくってよかったなぁと思います。
なんせ、こんな人まで覚えててくれたの?!ってお祝いくれて。本当に嬉しかった。
それから、怖さがなくなったような気がする。
お祝いしてくれるのもそうだけど、やっぱり生まれた日はその時に終わってるからね。
別に今祝われなくても、別にいつでも私がいてくれてよかった、って思われればそれでいいかなって。


とにかく、なんか緊張感がなくなりました。おめでとうわたし。

四月になれば彼女は


2ヶ月前から読みたかった本を読んだ。




四月になれば彼女は。
最初、うわーーーめっちゃ綺麗な表紙だなぁああウユニ塩湖だぁああって思って、帯をみて購入を即決。
大体そんな感じで本を買っている(こんな感じだから読みたい本を買うのに増えすぎて読んでない)



なんかとても不思議な感じだった。読んでる間、沢山心に響いたり考えさせられたりする言葉が沢山出てきて、いちいち噛み締めてるのに気づいたらもう半分とか、気づいたらあと2、3ページとか。
あと物語の目次?が、4月~3月の1年間に振り分けられてて、めくるともう1月?え?どゆこと?みたいな。つまりは、考えさせられるのにスラスラ物語の話は入ってきた。夢中になってます!って感じで集中しなくて、時折考えながら、人の話をそれで?って聞いてる感じ。亜美ちゃんは美人とか、蹴りたい背中とかはもうめちゃくちゃ物語に集中してたけどね。それとはまた違う読み物だなぁと思った。


物語の中に色んな恋愛についての価値観や言葉が出てきたけど、基本的にはみんな諦めてる。人を愛しているのかわからない、人が幸せかわからない、人の好きの深さは永遠にわかることがないからこそ、わからないと割り切った上でみんな諦めている。自分よりも大事な人がいた時期があっても永遠には続かない。でもそんな恋愛に憧れていたり、諦めきれなかったりする人もいれば、自分と無縁の世界だと絶つ人もいる。
だから、作中ずっと、恋愛はこうなんだ!恋愛とは!みたいに恋愛の価値観については一筋ってわけじゃなかった。むしろ、迷っているようにみえた。何でだろう?何なんだろう?て探してるようにみえた。

それでその疑問や迷いは今、人生の岐路にたっている私も同じ。だから、余計考えて読んでいた。すんなり信じれる部分とそうだと信じたいな…て思う部分が沢山あった。個人的には、純を見てこう思えるのはいいなぁって思ったし、タスクを見てあぁ私はこっち派だなぁって思ったし、奈々を見て確かになってなった。


タスクが作中で言ってた言葉。
「フジさん、やっぱり僕は自分が一番大事なんですよ。いや、あのパーティにいたみんながきっとそうなんです。それなのに誰かとずっと一緒にいるとか無理がありません?」
そのあとの藤代の言葉。
「まあお前の言う通り、恋愛は非合理的だよ」
「それでも結婚するのは、みんな寂しいからだよ。はしゃいだふりをしてるだけで、ひとりが怖いんだ。」



タスクの言った言葉も、藤代が言った言葉も、どっちも現実だと思う。
自分が大事だから、寂しい思いをしてる自分を寂しくさせないようにする人間もいれば、そんな寂しい思いを消すためだけに無理をするのが嫌で、ひとりでいる人もいる。


今自由な選択ができて、自由な恋愛ができる分、寂しさの気持ちの強さで恋愛が進んでるようにも思う。
人と関わることは、深く関われば関わるほど傷を負うこともある。自分の思い通りにいくことも少ない。それが自分の期待が大きい人、つまり好きな人に当たれば当たるほど、自分が傷つくだけじゃなく、失望も伴うから、疲れてしまう。


じゃあ、傷つかないためにもっと中身を知ろうって思って、自分の気持ちを隠して、友達から入って仲良くしてると、今度は相手が恋愛の候補から外してしまうこともある。情になる。
深く知りすぎているから、この人のことを知りたいとか、新しい面が見えたりする、ドキドキがない。情熱がない。
それは恋愛じゃない、ドキドキや胸キュンのような、恋愛に当てはまる感情がないじゃないか、確かに一緒にいて落ち着きはするけど、ドキドキしない。
そういう感覚が増えてると思う。
良く言ってしまえば、本音が言える兄弟姉妹のような、家族のような関係で、そこから、また新しく関係を作るなんて、リスキーで無理だ。



全部に共通することは、何だかんだで自分が大事だということ。
もっと飛び込もうとしたら、思わぬ面が見えてくるかもしれないのに、実は自分が気づかないところで、知らない自分が出てることもあるかもしれないのに。自分の保身への想像力は無限大なのに、そのプラスの可能性は浮かびすらしない。何でなんだろうね。
でも、開き直るようだけど、もともとそういう生き物なんだと思う。
現代の恋愛は、というけれど、元々人類みんなあった気持ちが、自由になったことで、暗黙の了解だったのが明瞭になって出てきただけだと思う。
こういう気持ちも考えも、私がそんなことないよ、ちゃんと大事にできるよ、と言われて、本当に相手のことしか考えられない人が出てきた時、傷つかないためにあるのかもしれない。
どこをツッコんでも、結局自分が大事と繋がってしまうね。


多分それが今の恋愛の姿で、それが原因で恋愛ができてない。
そういう多くの人達の姿を、色んな登場人物からの言葉で共感をもぎ取っていた。
他にも書きたいことがあるけれど、少し休憩。

ひとつ


後悔が消えた。
と思う。

思ってること、100分の1も伝えられなかったけど( 笑 )
でもずっと気を使って、沢山話しかけてくれた。
なんか別の意味で謎だなぁって思うことも沢山あったけど、初めてちゃんと話をできた気がする。
相変わらず、目線そらしたり、否定しちゃうことも多かったけど、でも、ありがとうっていうことも出来た。申し訳なくてって言う事も出来た。



私にとって、恐怖がありながらもちゃんとこの人は優しい人だとわかることが出来た人。
ずっとずっと、感謝したくて、好きな人とは違う特別な人。恩人。
一昨日も散々、優しいよって言われたけど、わかってるよ、知ってるよって言いたかった。
恋愛の話とか自分から話してくれたりして、少し人柄がわかった気がした。
酔っ払っててすごかったけど。




いつも誰かに触られたりするとビクつくのに、全然怖くなかった。ゾワゾワして気持ち悪い!って思う感じも何も無かった。
それは私自身が免疫がなくなってきてるからだなとは思ったけど、それでも少しは怖いと思ってる相手に触られたら、怖いって思ってしまう。それすらもなかった。
何でだろう。安心してたのかな。って思うけど、何を考えてるかはわからないにしろ、優しい人だと自分がわかってたから余計安心したのかもしれない。



私、すごくチョロくてウブいから、何も思わないといえば勿論嘘で、解散したあと、ウワッッてなって恥ずかしくなった。酔っ払ってたというものもあるし、周りもその場のノリで付き合ってくれてたこと、相手も盛り上げたり距離を縮めたいからそうしてたこと、全部わかってるはずなんだけど、どうしても気にしてしまう。
だからといって、恋愛として好きな訳では無い。もちろん私も。本当にペットを可愛がってるのと同等だと思う。
私も、彼女がいたことや私の知り合いのことを狙っていたことをわかっていても、何も思わず野次馬精神でいれた。いれたというか、本当に苦しさとか何も思わなかった。




つまり、中途半端だなと思う。
自分の中でこの人に対してどういう「好き」なのかがカテゴリされてないから、ごちゃごちゃ。
幸せになってほしい。その人のことを知りたい。その思いは変わらない。
でも、私がその人の隣にいることは想像出来なくて、想像もなくて、もっともっと素敵な人を見つけて、自分がいたい、居心地いい自分でいれて、幸せならそれでいい。だから、誰かこの人の前に現れてくれ。優しくて、いい人だから。一途で、大切にしてくれるから、だからどうか。って感情に近い。


一体なんなんだ?( 笑 )

逃げるは恥だが役に立つ


見終わった。そして終わってしまった。

今までミーハーみたいな気持ちで見てたのに、今回はすごくイライラしたり泣いたりして、思うことがたくさんあった。


みくりが風呂場で泣きながら言った台詞。
うまくいかない時待っていてくれる人、信じてくれる人、見失っちゃいけない。って言葉。
ズシン、ときた。それまでみくりが不貞腐れててめちゃめちゃイライラしてたんだけど一気に消えた。
そしてまた途端に昨日の記事に書いた人たちのことを思い出してた。
こんな感情移入や投影なんてしたくなかったけど、いいことを教えて貰ったと思う。


私は昨日もまだまだ甘えていた。
自分の中でずっとずっと罪悪感はあるのに、それを誰かと話してる時にだけ出して、誰かに聞いてもらって謝るでもなく、なにか行動起こすわけでもなく、ずっと懺悔や謝罪だけを間接的な人にだけしていた。
キリスト教の人はキリストに懺悔をして、自分の過ちや許しを乞うけれど、私が許しや過ちを乞いたいのは、それを与えてくれた人たち。自分が傷つけてしまった人たち。私がいなくなった時、私のことをずっと影で心配して、応援してくれてた人たち。
平匡さんが自分からドアをノックしたように、私だってやらなきゃいけないんじゃないんだろうか。それが何年経った今でも。今でも忘れられてないなら尚更。都合良くても、自分の中でそれが蟠っているなら。やったもの勝ちなのだと思う。散々ノックしてくれたのに耳を塞いで聞こえないフリしてたんだから、今度は自分から。


もう今までさんざん逃げてきたからな( 笑 )