「なんかあったら言うんだよ」「無理しないでね」「溜め込むの良くないよ」
って言うその言葉を信じて、言っても、私の言葉を自分がどんな顔をして聞いてるのかわかってないでしょう?

めんどくさいとか聞かなきゃよかったとかの後悔の顔とか、かける言葉が見つからない困った顔とか、そんなカッコイイ言葉を言うなら、そんな顔しないでよ。

何かあっても言えないのはそんな顔させてまで、自分の中のものさらけ出したくないからだよ。
心配してくれるのは有難いよ。でもその行為だけでいいの。
何があったか聞いて欲しくないわけじゃないよ、でもそんな顔させて気持ちを暗くさせるくらいなら、私は私の中で溜め込んで生きてくよ。

だって、そうやって無くしていったら私には何も残らないもん。

恋愛つらつら


拾い画って乗っけていいのか分からないけれど。
前にTwitterで流れてきたこれを見てから最初から最後まで痛々しいほどわかる……と思って感動して、iPhoneのフォトライブラリにお気に入り登録をして、週一ぐらいで見返している。

私自身、人を好きになっているという感情にすら自信が無いから、もともと恋愛で好きと言いきれないこともある。でもきっとこれを認めれば、好きってことになるのかな?って思うことは多少あったし、今もちょっと抱えている。


でもそういう事を思い返してみて、興味を持っても、付き合いたいとかそばにいたいとか、すぐに思わない。それこそ、この画像にあるように、私のような人に好きになられたりしたら、ウンザリするし困るだろうなぁという方がすぐに出てきてしまう。
それでもやっぱり好きだから、顔は見たいし、声が聞けたり会えたらうれしい。そして自分の気持ちをうまくコントロールできない。
だから自分の気持ちを気づかないようにして、しまい込んでしまう。
そうして、相手の幸せを願っている自分が少しいいように感じて、その嘘に酔いしれたまま、終わる。


なんでそうなるかはわかる。私自身が自分に自信を持てないからだ。
どんな事にも全部自信が無い。相手が過度に期待しているわけでもないのに、私は私に自信が持てない。


何かしらあると、私のことを自信が無さすぎるよ、もっと自信持ちなよって言ってくれる人がいる。思えばずぅっとそれを言われてきたし、私の中のコンプレックスや悩みは全て、そこに起因していると思う。
それでも、こんな自分のどこを自信に持てばいいの?って思ってしまうし、自信の持ち方も知らない。
最低な時なんかは、私を知らないのに何でそんな無責任な事言えんだって思ったりもする。人によるけど。
そういう最低なことも思ったり、そんな人間だから、人に好かれていても私のどこを…って思ってしまうし、自分に自信が無いに拍車がかかって自分を執拗までに下げて生きてしまう。
別に悲観しているわけではなくて、それが私の癖になっている。


そうやって、自分を見てこなかったから、本来気づくべきことや思うことも、遅れてあとから気づくようになってしまった。
いつも周りより色々気づくのが遅い。彼氏が欲しいとか人がいない寂しさもようやく今わかり始めた頃で、その気持ちより誰かと仲良くありたいと思っていた。
恋愛対象から外されたかった。いちばん邪魔にならない異性になりたかった。
そして今はそんな願いが叶って、安全パイの位置を確立していると思う。
その願いが叶ったのに、それでもこんなに自分のことに対して否定的に思うということは、私は、恋愛を分かっていなくて、きっとどこかで恋愛に対して憧れを持っていて、突き放せないからだ。
あれだけ嫌だったのに、憧れている。
憧れてるのに出来ないから、怖いから、私の思ってたのと違うから、だから突き放す。
それでいいの?って思うけど、そうやってじゃなきゃ保てない。
いつまでも結婚してたり彼氏がいるイメージがない。



今、今まで一人がいいと思ってた私と私の中のどこかで存在してた恋愛したい私が混合してる。
自分に素直になったらそうなった。社会的な活動とか年齢を重ねるにつれ、自分の何かはおかしいのか?って少し疑問を持つようになった。相変わらずひとり最高って思う時もあるけど。
人をきちんと好きになれるのか。そもそも私は人に好かれるような人間なのか。
その為に自分で努力できるのか。間違ってしまわないのか。
嫌われた時、何かあった時、私は立ち直れるのか。
どうしようもない疑問がポンポン出てくる。


恋愛は怖い。

くやしいこと わかること


わたしはアメトーークをよく見る。木曜深夜と日曜ゴールデン、欠かさず録画してみている。
日曜は家族で見て楽しくなりそうなものをやっているけれど、木曜は結構マニアックな表題を収録してる。今日の相方のツッコミ最高芸人は、各々の良さとほかの良さがミックスになっててとても良かったし、面白かった。東京03の飯塚のクセがすごいが一番良かった。
そんな話はさておき、その木曜深夜にやってたアメトーークの読書芸人というくくりで、出演してた光浦靖子が本を読むにあたってどのような気持ちとか読み方を聞かれてる時にこう答えていた。
人の喜怒哀楽の中で、一番最初に出るものって怒り。だから、その気持ちがのるまでは読むのを途中でやめられない、的なことだったと思う。


隣で見ていたお母さんも確かに、と言っていた傍らで
言われてみれば確かにそうだと思った。
だって、この4つの中で、他人も自分もとても気を使う感情は怒りか哀しみだし、なんとなくだけど、哀しみは声をかけやすくても、怒りってなかなか声掛けにくい。ベストオブ気を使うのは怒りなイメージがある。


私は怒ってる人も、怒鳴り声も嫌い。
だから、避けていた感情だったけれど、その怒りをわかれば、その人のことちょっと見えるのかなって思い始めた。
友人は怒りを原動力にして生きてるって言ってるし、何に怒っているのかをわかれば、逆にそれをしなければ怒られることはないってことなのか。

少し自分に置き換えて考えてみた。
そうしたら、同じくくりなのかは分からないけど、怒るのは大体しょうもないことだけど、私は悔しい気持ちは結構あるなって思った。


例えば、本を読んでいて、ミステリーだったとする。
マジックのタネを探るようにじっくり読んでも、最後まで犯人が自分でわからなかったら悔しくなる。
ミステリーじゃなくても、文章が難しい本を読んでいて、理解出来なかったら悔しい。巻末の解説を読んでやっと分かってスッキリする反面、悔しい。

あとは、数値的な結果を出すよりも、自分の力になれてたか否かの数値的でない過程を気にして悔しくなる。
友人の相談にうまくアドバイスを言えなかった時、言いたい事をうまく救い上げることができなかった時、納得できてスッキリするような時間を相手に過ごせてもらえなかった時、そんな時は何がいけなかったのかなーどんな話をすればよかったかなー、なんて、解散してすぐに反省し出す。


他にも音ゲーでフルコンが出来なかったとかそんなしょうもない事もあるけど、大体いつも悔しがるのはこの2つ。一貫して、分からなかった事やゼロの状態から、探って正解を出すことにこだわってるんだって気づいた。
だから悔しい。基本的に私自身色んなことに無関心なのだから、まずこういう風に悔しいと思うってことは、上位に食い込む関心事なのだな。と改めて思った。




悔しいも怒るも、別の感情だとは思うけど、どっちも絵に書いた時、顔を真っ赤にしたり、苦しそうな顔になる気がする。
別に泣いたり、病んだりしなくたって、苦しくなることはあるし、涙を流さなくてもそういう気持ちだけで分かることってあるんだなと思った。
そういう気持ちも、人のことわかる手立てなんだな。

6月16日


和菓子の日
学校の生協にポスターが貼ってあって初めて知った。
病気がなく、健康に暮らせるようにって昔の天皇が和菓子をお供えした日だから、和菓子の日らしい。


そういう意味がある日でしたが、実はその日、母方の祖母が亡くなりました。朝の4時ぐらい。
その前日の夜ぐらいから、容体が急変して、私は翌日の2限が終わったらそのまま新幹線に乗って祖母のところへ向かう段取りでした。
朝起きて悲しみよりも衝撃が大きくて、しばらく放心してたけど、礼服を買わなきゃいけないとかお父さんが葬式の準備のために一足早く向かわなきゃいけないとか、そういう行動に出た瞬間、本当なんだって気付かされた。
その日は本当は5限まであったから、5限まで出て、洋服の青山で礼服買って、色々考えてしまいました。



まず、私が会いに行く日に亡くなってしまったから、生前話したのはGWの時だけが最後だったこと。
どうして今日なの、なんで?って思ってしまったし、大事な会うことに比べれば就活の面接なんてクソって思ってしまって、就活続けてた自分にも嫌になった。
もっと早く終わらせて安心させてあげれればって、お母さんにもばぁばにも、スッキリと会えたのにって思ってしまった。


二つ目は現実と向き合うのが怖かったこと。
私はまだ病気が発覚する前しか会ってなかった人だから、病気で苦しんでたことも、亡くなったことも、その予兆や現実がリアルに感じ取れなかったから、私はきちんと受け止められるのか心配だった。そして、自分にとって身近な人の中で、きちんと思い入れがあったり、記憶があったりする人が亡くなったのはこれが初めてでどうなるかも怖かった。


三つめは、これが一番辛かったけど、お母さんの気持ちを考えたらのこと。授業中しんどくなって少し泣き出してしまった。
実の母親が亡くなってしまうって、しかも目の前で亡くなるってとんでもなく辛いと思う。今までだってどんどん弱ってく祖母を見てしんどかったんじゃないかなって、それが言い方が悪いかもしれないけど報われなかった。
しかもこれから葬儀もあってそのあとも大変で、悲しいのに正直に悲しみもできないってどんなんだろうって。
これが一番辛かった。


葬儀に向かう前日やその時間まで、不思議と学校では空元気とかなく普通に過ごしてて、ゆっくりお母さんと話せる時間なんてないだろうから、お母さんにお手紙書いて渡しました。
あとは葬儀で何が出来ることがあれば頑張ろう、お母さんを少しでもゆっくりさせてあげよう、お母さんが泣けない間は私も我慢しようって、そういう面持ちでいました。


実際行くと本当に不思議で、棺に入ってた祖母が本当に私の知る祖母なのかな?って思ったりもしました。
そのくらい顔が違うように思えた。
確かその頃女優の野際陽子さんも同じ時期に亡くなってて、え?もしかして野際陽子さん?なんて本気で思ったりした。もちろんそんな訳ないけど。
でもお坊さんがお教唱えたり、棺の中に花をいれたり、お線香あげたりしたら、本当に亡くなったんだ、って事だけ浮かんでずーーーっと泣いてました。


本当に何かある度に泣いて、何もなくても泣いて、お母さんの顔見て泣いて、お線香あげて泣いて、って、時折手伝いしてる時の方がよっぽど普通にいれてたと思います。お母さんが泣いてないんだから自分は我慢しなきゃって思ってたのに、ビービー泣いてて、その言葉を行動に移して、こっそり裏で泣いてた妹の方がよっぽど優秀でした。
私こんなんで、しかもお手伝いしようにも、葬式の経験もあまりない私が、孫の私が出来ることって限られてて、本当に参列者の人と同じようなことをしてて、やるせなかったです。


それでも、ひとつだけありました。


告別式の朝。
葬式を終えて告別式の朝まで、葬式会場のすぐ横の客室で家族4人で寝泊まりしていて、朝食を葬式会場の横の食事場で、会場の人が朝ごはん用意してくれたので、ご飯を4人で食べました。
私と妹、父と母の4人は本当に久しぶりで、4人で久しぶりだね、って話しながらご飯食べて、そのあと4人並んで祖母にお線香あげました。
お線香あげたあと、お母さんは笑顔になって、私と妹の腕を組んで、今お母さんなんか幸せだった、って言ってくれました。


その時、私がいた意味が少しでもあったような気がしました。
何かとはうまく言えないけれど、そうやって自分の家族4人で過ごせたことが安心したり、リラックスできたんじゃないかって思ったり、自分の母が1人亡くなったからこそ、自分が母としているもう一つの家族がいることを、改めて実感してくれたんではないのかなと、思います。なんていうか、残されてるものの確認をして、まだ安心だっていうような。
もう一つの家族の誰かがいなくなっても、まだもう一つ、誰もいなくなっていない家族がいること。
そうやって幸せだって少し泣きながら、笑ってくれたことが私にとっても幸せでした。
よく、祖父母や両親からあなた達がきちんと生きて、元気であることが、何よりの孝行になるんだよって言わたこととなんの関わりがあるのかはうまく言えないけれど、関わりがあるような気がして、いるだけで、それでいいって、私が身をもって初めて感じたことでした。


そのあとも結局ずっと泣いて、葬儀がすべて終わったあとも、ゆっくりお話できるような時間も私ができることも何もなかったので、その次の日の新幹線で妹と帰りました。













母方の祖母が亡くなったことは本当に大きな意味がありました。
あくまで私が信じたくないという心情で、失礼な話でもありますが、私にとって、大好きなおばあちゃんは亡くなった祖母の方だと感じていたからです。
今一緒に住んでいる父の母になるおばあちゃんは、こう言えばいい、ああ言えばいい、綺麗な言葉ではあるけれど、心はこもっていない。考えて、感じて、出ている言葉じゃなく、教科書の言葉を音読しているような、そんな気遣いしか感じられない。
それは年のせいではなく、その人の人柄なんだと思います。
わかりにくいか、わかりやすいか。同居するおばあちゃんはわかりにくく、思いにくいのかなと、失礼ながら感じてしまいます。
一方で、亡くなった祖母は、自身が大変な時には、大変だと言いつつ、私の顔が見たい、声が聞きたいと、きちんと感じたことを、良くも悪くもいう人でした。
その一方で、人の前では強くいて、人に気を遣わせちゃいけない、どんなに都合が悪いことをしていても、思ってくれてやってもらった行動なら嫌な顔もしちゃいけないって、我慢するような人でした。
まだ病気も何も、何なら、ひいおじいちゃんも亡くなる前の4月に、私はどうしても就活が辛くて、お母さんにばぁばに会いたい帰りたい、と弱音を吐いたことがありました。
その時、祖母の方も法事関係でバタバタしていて落ち着かない日々が続いていて、もちろん帰ることは出来なかったのですが、お母さんとばぁばに電話してみよっか、という話になりました。
電話に出た瞬間、私の名前を何度も呼んで、声聞きたいと、会いたいと思ってたんだよ~~~~、就活心配だけど絶対大丈夫だと思ってるんだよ~~~~、って言ってくれて、その言葉を聞いて私は泣きだしました。泣いているそぶりは見せなかったけど、一緒にいたお母さんにはバレっバレになりながら、あくまで普通に電話してました。
なかなか会えないから、だから貴重さ?が違うだけなんだと思ってはいたけど、でもそれでも、やっぱりそういう風に直球で言ってくれたことは嬉しかった。
何も綺麗な言葉ではなく、ただ自分の気持ちなだけだけど、私はそういう言葉の方が嬉しい。
そういう気持ちを言ってくれる祖母の方が、私はいて落ち着いたんです。
だから、その祖母がいなくなったことは、同居してるおばあちゃんと上手くやれていなかった私にとって、すごく痛手であり、悲しいことでもありました。


それから、私が会う日の早朝に亡くなってしまったこと。
物凄く後悔しました。
あの日にああしておけば、こうしておけば、すればよかった、しなきゃよかった。会うことが出来たタイミングが沢山あったからこそ、亡くなった直後は本当に思いました。
でも、これは祖母本人が言っていたことらしいのですが、私が最後に会ったGWの最終日、家に帰りたくなくて、祖母に抱きついた時のあの感触がずっと忘れられない、とそう言ってたみたいです。
私はそれで、少し気持ちが軽くなったような気がしました。勿論、その時最後になるとは思っていなかったので、自然に出た行動でした。
これはお母さんに聞いた話と解釈なのですが、祖母は、昔は自分の家で美容院を経営していて、お母さんとその妹にあたるおばさんは、人に対してすごく厳しく教育されていたので、自分の好きな時に、母親であった祖母に、そばにいたり、甘えたり、スキンシップをとったり、そういう事が出来なかったと言っていました。でも、自分たちが母親になった時、子供の私に対して、甘やかしすぎることはなかったですが、いつでもそばにいて、一緒にいてあげたいと思っていたそうです。
現に、私はずっとお母さんがいてくれてたと感じてます。一緒に遊んだり、看病してくれたり、辛いことがあったらお母さんって泣きついて、わんわん泣くこともありました。
そんな風に育った私は、甘えたい時に甘えられることが出来ていたので、祖母に対しても、そういう風に甘えてしまったり、スキンシップをとることをなんとも思っていなかったんです。甘ったれと言われればそれは本当にその通りなんですが( 笑 )、でも娘をそう厳しくしつけていた祖母にとっては、その甘えが自分に今まで無かったことで、すごく新鮮で、忘れられなかったんじゃないかと、お母さんは言っていました。
これを聞いて、私はあの時が最後で良かったんじゃないかと、そう思いました。
私は上記の通り、実は本当に甘ったれで大好きな人は大好きなので、逆に誰かが亡くなりそうとか病気だと言われると、本当に沈みこみます。祖母がまだ亡くなる前、闘病してることを知った数日の間、その事をおもえば、毎回毎回目が腫れて開かなくなるぐらい、泣いていました。
そんなひどい顔を、祖母の前でしなかったこと。知らないで、笑っていたり甘えていた方が、きっと祖母にとって、孫の私という最後の記憶や印象、心配をかけているという心労までかけずに済んだ、その事だけでも、あの時の知らない私が出来たことなんだと思えるようになりました。
勿論、闘病している祖母に会いたかった気持ちもあります。かけたかった言葉もあります。
でも、会えたところで思ってる言葉の半分も言えない。言えたとしても、顔の表情は心配、不安の顔をしていたと思います。
だからこれでいいんだ、私は孫として、なにか出来たことがあったんではないかと思います。
それは、祖母にしか分からないことですが、私がこういう優しさや可愛がってもらった、と思うように祖母も思ってくれてたら、私は幸せです。


それから、最後。
祖母が心配していた就活もきちんと終わることができました。生きている間に、内定先も出ていたし、私は心配いらない、と言っていた祖母をを本当に安心させることが出来て、本当によかった。


こんな感じで自分の気持ちも整理することもできました。



全部の気持ちを書くのに、二ヶ月以上経ってしまった( 笑 )
色々忙しかったからもあるけど、まとまらなかった( 笑 )
でも、今の自分の気持ちを整理できたのでよかった。
最低なこともいっぱい書いたけど、でもその気持ちを受け止めて、頑張っていかないと、という気持ちもあるので、これから精進したいと思います。

この1ヶ月のこと


少し、お話させてください。
誰にも直接迷惑かけないから。
つまらない思いも直接させない。
この場限りにするので。










今日、6月13日。1か月前は5月13日の母の日の前日。
私の母は、自分の母のために帰省していました。
実をいうと、私のひいおじいちゃん、
つまり、私の祖母の父がこの5日前に亡くなりました。
そのお葬式のことと、元から体調が優れなかった祖母のこと、宗教上でのお葬式の日程などと色々人手や世話があって、長い間帰省していました。そして、1ヶ月たった今でも帰ってきていません。


ひいおじいちゃん、102歳でした。
といっても亡くなる直前会えなかったわけじゃないです。
私は今就職活動中ではありますが、GW中、祖母の家に帰省して、老人ホームにいるひいおじいちゃんの様子を見に行きました。
その時からもう、風邪で寝たきりでずっと眠っていて、私も誰も話せはしなくて、様子がおかしいね、大丈夫かな、と言って、こっちに帰った矢先に亡くなりました。
寿命をしっかり全うして生きたんだなと、正直私は心のどこかでは納得していました。
そして、私自身もGW明けから面接などが入っていたので、就職活動を再開し始め、まだひとつも内々定がないままで少し焦ってはいたので、自分のことで精一杯でした。


内々定がその4日後の17日に出て、会社出たあと泣きそうになりながら、一番はじめに母に電話をかけました。
母は、私が人生を決める一番大事な時期なのに一緒に居れてあげれないことに、かなり申し訳ない気持ちがあったんだと、知っていたからです。
もう大丈夫だよ、私はきちんとできるから、安心してね。
そういうつもりでした。
でも結局出られず、その日の夜、母から連絡が来て、おめでとうって沢山言ってもらいました。
私は内々定が出たことで、初めて自分以外の誰かを心配する余裕が出来ました。
祖母は、ひいおじいちゃんの葬式の時には、足が痛くて歩けず、ずっと杖をついたり車椅子で移動していたそうで、病院に行ったら、足の血栓に原因があり、命に別状はないとそう判断されましたが、元来、祖母は座り続けたりすると腰を痛めてしまうので、母が帰省し、面倒を見ている部分もあったのです。
母は、心配しなくていいよって言ってくれました。
私もその言葉を聞いて、私は大丈夫だから、そばにいてあげてねって言ってそのまま就職活動を続けました。




そこから5月の末日まで。
内々定を貰え、家のことは大丈夫だよとは言いつつ、家族内のストレスが相当強かったです。
母がいなく、父方の祖母と、父と、妹の4人の生活。
今まで家事を全てやっていた母の仕事を、妹と私と、出来ることだけは祖母がやる毎日で、内々定を貰ったといえども、自分が希望する企業や業界の選考はまだ続いていたり、説明会などもある中、夕ご飯のことを考えたり、洗濯をしたり、就職も結婚もしていないのに、共働きって大変だな、なんて考えていました。
妹は学校自体が遠く、4限が終わると帰ってくるのが遅く、父方の祖母とは、私が打ち解けられず仲良くも出来ない精神的なストレスと、家事も任せられる安心がなく、力も弱いから家事をやらせられなく私たちがやるという身体的なストレスが強かったです。
更に言うなら、父の就活に対する過度な心配も、有難い反面すごくストレスでした。
それでも、学校に行って友人といて楽しい時間を過ごせたり、私を心配してくれる今新社会人の私と同い年の大親友たちがご飯誘ってくれたり、電話くれたり、そういう嬉しいことも沢山ありながら、日々過ごしてました。


こうして6月1日。大手企業の選考や正式な内々定が授与され、本格的に就職活動が始まり、私自身、一番就活で打ちのめされたり、どんでん返しがあった6月第一週。
他企業からも内々定を貰い、希望している最終選考なども受け終え、ようやく落ち着くところに落ち着き始めた、第二週の今。
最後に受けた企業の最終選考の日程も今週の土曜日に決まり、あとは結果を待ったりして、今週中で就活が一段落し、あとは行くところを精査するだけになった、6月13日、今日の夕方。


父から呼ばれ、話された内容は母方の祖母の肝臓がんと膵臓がんの発病の話でした。


実は、足の血栓の病気と同時に、膵臓と肝臓にがんが見つかっていました。
発見は遅い方で、体力がない祖母は抗がん剤などの治療も受けられず、今は体力を戻すべくリハビリ中で、病態もいつ悪化したりするのかわからない状態だそうです。
病態のことやお見舞いに来るたくさんの人を考慮して、早めに祖母に会っていかないか、明日日帰りでも会っていかないか、という提案でした。
今まで話さなかったのは、私の就活を考慮した、母や母方の祖母の提案でした。
結果、今週の土曜日、面接を終えたらすぐに祖母の家に向かうことになりました。


以上がこの1ヶ月の話になります。














しんどい。
この一言につきます。色々な意味で。
今日も夕飯を作らなきゃいけなかったけれど、泣いた顔が見せられなくて、涙が引かなくて、妹に託してしまいました。ごめんね。
自分の就活のことでもなく、家族内のストレスでもなく、祖母のことや母のこと、周りの人の気遣いに気づけなかったことが何より辛いです。
祖母は、どんな思いで、私が生活している間いたのか。
私が大切な時期なのに、母として何も出来ない後悔だって、毎回電話すると伝わってきます。
それでも、何も無いみたいに、明るく、元気にいて、隠し通して、私は私のことで精一杯で。
本当は最初、一ヶ月前、祖母の身体検査の結果が出た直後、足の血栓の病気だったよと言われた時に、私は、ガンや大きな病気じゃなきゃそれでよかったって、母にLINEをしました。
その時、既読無視してたのは、忙しいからもあったけれど、私が言った言葉が本当は事実だから、なんて返していいのかわからなくて、返さなかったんだと今気づきました。
父が過剰に心配するのも、きっとこの事があったから余計心配になって、私のことを気遣っていたんだと思いました。それを私は母に愚痴ってしまいました。
そして今もまた、アホみたいな話をして、元気づけようとしてくれました。


みんなに心配かけたくなくて、何とか一人で頑張って、大丈夫な姿を見せたかったのに、結局私の就活も何もかも、みんなの気遣いの上で成り立っていた。
父は毎回話を聞いてくれた、私が傷つかないように言い訳まで考えてくれた。
妹は、私の気持ちを私より早く察して、行動してくれる時もあった。
父方の祖母は、出来ることをしようとしてくれてた、いつも笑顔でいてくれた。
母は、どんな時でも慰めたり、励ましたり、心配してくれてた。
母方の祖母は、言葉づてにだけど、よかったねって言ってくれてた。
なのに私は気づかなかった。ほっといてくれって思ったこともあった。
どうしていてくれないんだろうって思う時もあった。
不満に思って八つ当たりする時もあった。
みんながみんな、私以上に大変だったの、なにも気づかずに。


お願いだから、生きてほしい。

幸せ者


と思うことが最近多い。


特に大きな苦労もしてなくて、親も祖父母も私のことを大事にしてくれて、浪人させてもらって学校ちゃんと行けて、浪人しても友人には恵まれて。
逆にこれから先の人生大丈夫なのかな、全員に総スカンとされるんじゃないのっていう根拠の無い不安がつく( 笑 )

私はもともとくらーーーい人間。私自身周りが見えないくらい自分の悩みに溺れたり、他人の言葉が怖くて閉じこもったり、周りの空気を気にして自分の意見が言えなかった時があった。だから、周りもそんな私の雰囲気で明るい話よりも、人の悩みとか出口のない話をして、それを沢山聞いてきたりしてきたから、楽しさという言葉からはかけ離れてる人間だと思う。
それが嫌でお笑い番組とか見て研究したり、笑いってすごいなぁ笑わせるってすごいなぁって思ったりする楽しさにも気づけた。
だから暗くても、やっぱり私は幸せ者。
私の知らない学べることや人生を豊かにするきっかけが沢山できた。
それは全部、まわりのおかげ。
私ひとりで出来たことなんて何も無い。
私きっかけで成し遂げたこと何も無い。


今就活でたくさん自分に向き合うことが多いけど、私は人に直接向き合って、深く関われる仕事が一番いいと思う。私にないものを持っているのはやっぱり人で、その人の考えを聞くのが好き。どんなことを思い描いて、どんなことを苦手として、どんなことで悩んでるのか、そんな人の考えを聞くのが大好き。
そうすることで、私の考えの知識だって広がる。その人を少しでも理解しようとする自分と、心を開いて話してくれてる相手の人が、多分一番好き。
たまに疲れちゃうこともあるけど、誰かが楽になるなら、出口が見つかるなら、私は喜んで努力する。

ただバカだし視野が狭いから、力になれることは少ないかなという小心者でもある( 笑 )

ここ最近


22歳になりました!
イェー!という訳でもなく、ヤベェー!の方が勝ってるなぁ。22歳ならまだ若いほうだと思うけど、自分がその22歳になったという現実がねぇ…。最近まで成人式やってたんだけどなぁ。もう今年2個下の妹が成人式だもんなぁ。はっや。

話は戻りまして。

前日のサプライズも誕生日プレゼントもたくさんもらえて、予想以上に沢山の人から何よりのおめでとう!って言ってもらえて本当に嬉しかった。本当に。本当に。
私だけかもしれないけれど、誕生日って嬉しいと怖いって気持ちが混ざってるんで、迎えると意識しないように!って思っても少し緊張するんよね。
やだよねぇ、身構えちゃうの。
忘れられるのが羨ましいなってちょっと思う。


だけども、今年は忘れなくってよかったなぁと思います。
なんせ、こんな人まで覚えててくれたの?!ってお祝いくれて。本当に嬉しかった。
それから、怖さがなくなったような気がする。
お祝いしてくれるのもそうだけど、やっぱり生まれた日はその時に終わってるからね。
別に今祝われなくても、別にいつでも私がいてくれてよかった、って思われればそれでいいかなって。


とにかく、なんか緊張感がなくなりました。おめでとうわたし。